いつも笑っているラオスの人。
裕福でなくても、とってもしあわせそうな人たち。
ラオスの人に「ラオスの人たちにとってのしあわせって何?」って聞いてみたら、
「うーーん・・」と少し困ったような顔をして、
「家族や他の人たちと一緒にいて、笑ったりしゃべったりすることかなぁ」って言いました。
「貧しい人たちもしあわせなのは、みんながいるからだよ。」とも。
「これってみんな同じじゃないの?」っていうので、
わたしは「お金があったらしあわせって思う人も、日本にはいるよ」っていいました。
そうしたら「あははは」と笑って、
「お金があってもしあわせじゃないよー」って言うのです。
「全くないと困るけれど、たくさんのお金は欲しくない。
だって、たくさんのお金があったら、心配事が生まれるでしょう?
このお金がなくなったらどうしよう。
盗まれたらどうしよう。
自分が死んだあと、誰に渡そう。
自分の中に、楽しい気持ちやしあわせな気持ちが
どんどん少なくなっていってしまうよ。」
納得しながらも、ちょっと意地悪に
「でも、たくさんお金をもっていたら、誰かに分け与えることもできるよ?」
と聞いてみたら
「たくさん持っていて分けられる人は、神さまのような人だよ。
ブッダのような。
そういうことができる人はとっても少ないでしょ?
ふつうの人は、どうしてももっと欲しくなっちゃうよ。
100万持っていたら、200万欲しくなって、
200万持っていたら、500万欲しくなって・・。
僕もそうなる。
だから、たくさんのお金はいらないよ。」
お金としあわせって、イコールじゃない。
分かっていたつもりだけれど、こんなにもハッキリと
それも、お坊さんのような人ではなく普通の青年のことばで聞いて、
ハッと目が覚めるような感じでした。
そして、もうひとつ質問をしました。
「じゃあ、もしも災害があって自分のおうちがなくなったり、
ほとんどのものを失ってしまったら、それでもしあわせって思える?」
その答えは
「そのときはきっと大変だけど、がんばります。
大変なのはわずかな期間。そのあとは大丈夫。
だって、生まれたときには何も持ってなかったから。
何も知らなかったし、ことばも話せなかった。
ゼロから始まってここまで生きてこれたのだから、
きっと、どんなことでも大丈夫だと思う。」
はぁ・・・思わずため息がもれました。
生きることも、しあわせも、ずっとずっとシンプルなもの。
越えられない悲しみも痛みも、この世には存在しないのかもしれない。
ラオスの人だけじゃなく、わたしが心惹かれる大陸の人たちの持つ
脳天気にすらみえてしまいそうな底抜けの明るさのもとに、
ブッダや神さまの存在を感じずにはいられませんでした。
人間って、ステキだなぁ。



